「特別展 古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」を観ました。古代メキシコの代表的な3つの文明「マヤ(前1200頃-後16世紀)」「アステカ(14世紀-16世紀)」「テオティワカン(前100頃-後6世紀)」に焦点を当てた展覧会です。
早速ですが、今回一番見たかったものはこちらです↓。
「チャクモール像」(マヤ文明 900-1100)
生贄を載せる台。「この台には生贄になった人の心臓を載せるのだ」と聞いたのはいつだったか思い出せないぐらいずっと昔のことなのですが、なかなかお目にかかる機会がなく…。今回ようやく目の前にすることができました。ちなみに私はテレビを見ている時にこんな格好になっていることがよくあります。おなかにお皿は載せていませんが。
せっかくだからぐるっと回ってみましょう。
神への供物を置いたと推測されるこの像。チチェン・イツァとトゥーラから多く見つかっており、アステカにも受け継がれました。本展にはこの1台の展示でしたが、もっといろいろな像を見てみたかったな。
そんな感じで、古代メキシコのイメージといえば「いけにえ」じゃないでしょうか。彼らは「万物は神々の犠牲により存続しており、自らも他者のために犠牲を払うべき」という倫理観に基づき、人間を神に捧げました。捧げるからにはちゃんとした人を捧げるようで、生贄になる人物は地位の高い人や有能な人であり、本人にとっても名誉なことだったといわれています。ただ斬首や心臓の剥奪などの残虐な手法は、国家の覇権の誇示にも利用されました。
「球技をする人の土偶」(マヤ文明 60-950)
儀式のひとつとして、ゴムボールを使った球技がありました。腰で打ち合ったり、グローブやスティックを用いたりと様々なルールがあったようです。負けたほうが生贄になるとかならないとか。
「香炉台」(マヤ文明 680-800)
マヤの儀式では香が盛んに焚かれました。コーパル(またはコパル)という木の樹脂から作られた香がよく用いられたそうです。
ところで、今回の主役というべきものは、「赤の女王」の装身具です。
「赤の女王の装飾品」(マヤ文明 7世紀後半)
1994年の発掘調査により発見された未盗掘の墓室。棺には辰砂(水銀朱)で覆われた女性の遺骨が遺されていました。王墓の特徴を持つ墓の構造と朱に覆われた姿から、彼女は「赤の女王(レイナ・ロハ Reina Roja)」と呼ばれています。
彼女の名前は「イシュ・ツァクブ・アハウ」。パカル王(キニチ・ハナーブ・パカル)の妃と考えられています。身長は約154cm。命日は672年11月16日(50-60歳)とのこと。
今回さすがに骨は来ていませんが、その体を飾った装飾品が展示。主にヒスイなどの石でできています。マスクは孔雀石です。瞳は黒曜石、白目は白ヒスイ輝石岩。頭飾りはマヤ神話の雨神チャフクを表現。ヒスイ輝石岩や貝、石灰岩でできています。写真右下に写っているのは緑石岩でできた針。針は織り手を司る神と関連し、若さと健康を表すとされているそうです。機織りや紡績はあらゆる社会階層の女性にとって重要な仕事でした(昔からどこでもお裁縫は女子の仕事なんですね)。
等身大と思われる、鷲のコスチュームを身に着けた王直属の「鷲の軍団」を構成した兵士の像。あるいは戦死して鳥に姿を変えた戦死の魂や、太陽神の姿を表しているとも。開いたくちばしの中から顔を出し、足の爪を膝につけるというあたりのセンスが素晴らしい。
今回さすがに骨は来ていませんが、その体を飾った装飾品が展示。主にヒスイなどの石でできています。マスクは孔雀石です。瞳は黒曜石、白目は白ヒスイ輝石岩。頭飾りはマヤ神話の雨神チャフクを表現。ヒスイ輝石岩や貝、石灰岩でできています。写真右下に写っているのは緑石岩でできた針。針は織り手を司る神と関連し、若さと健康を表すとされているそうです。機織りや紡績はあらゆる社会階層の女性にとって重要な仕事でした(昔からどこでもお裁縫は女子の仕事なんですね)。
ところで、「赤の女王」にちなんで(だと思いますが。それとも生贄の血かな)展覧会のイメージカラーは赤でしたが、古代メキシコには「マヤ・ブルー」と呼ばれる色が存在します。
終盤に度肝を抜く姿の土偶が。
「鷲の戦士像」(アステカ文明 1469-68)
等身大と思われる、鷲のコスチュームを身に着けた王直属の「鷲の軍団」を構成した兵士の像。あるいは戦死して鳥に姿を変えた戦死の魂や、太陽神の姿を表しているとも。開いたくちばしの中から顔を出し、足の爪を膝につけるというあたりのセンスが素晴らしい。
閉館時間が迫り、物販コーナーに次々とカバーがかけられていき、ぐいぐいと退館を迫られたので、じっくりとお土産を見ることができませんでした。もしかしたらコーパル、あったんじゃなかろうか…。
0 件のコメント:
コメントを投稿