2024-01-26

キュビスム展

  「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」(@国立西洋美術館)を観ました。ポンピドゥーセンターから日本初出品の作品も多数来日。およそ50年ぶりの本格的なキュビスムの展覧会です。

メインアートはロベール・ドローネー「パリ市」(1910-1912年)


 セザンヌの絵を見て、多視点から描くことを試みたピカソとブラック。実際のところ、セザンヌ自身は単純に絵が下手で結果的に多視点になってしまったようなのですが…。新しい表現を求めていた彼らにとっては「これだ!」とひらめきを与えてしまったらしく、キュビスムの原点となりました。同じく天然の画家アンリ・ルソーにもピカソは食いつき、「表現は自由だ!」となにやら感じ取ったようなのです。


参考:ポール・セザンヌ「リンゴとオレンジのある静物」(1899年)

セザンヌの多視点絵画の代表な一枚。
本人はそんなつもりはなかったと思います。



参考:アンリ・ルソー「女性の肖像」(1895年)

ピカソが所有したルソー作品の一枚。
作者本人はアカデミックな写実絵画のつもりで描いています。


このように影響を受けた作品もその後のキュビスム作品も、いずれも平面的に見えるのに、なぜ「キュビスム」と呼ばれるようになったかというと、ブラックがセザンヌ調に描いた家々が「キューブのようだ」と評されことから。

ジョルジュ・ブラック「レスタックの高架橋」(1908年初頭)

まんまセザンヌ!

やがてピカソとブラックは「分析的キュビスム」と呼ばれる段階に至り、対象物は細かく分解され、抽象化が進み、色彩も抑えられ、何を描いても同じような作品が出来上がるようになります。

パブロ・ピカソ「ギター奏者」(1910年夏)

ジョルジュ・ブラック「円卓」(1911年秋)

これではいかん…と思ったかどうかはわかりませんが、その後コラージュやパピエ・コレ(貼られた紙)といった技法を試みた「総合的キュビスム」へと変化します。その間にも二人で始めたキュビスムは瞬く間に広がり、多くの追随者を生みました。

フアン・グリス「ギター」( 1913年5月)

パピエ・コレが駆使されています。


フェルナン・レジェ「縫い物をする女性」(1910年)

レジェのキュビスム初期の作品です。
これはまた独特なキュビスムの解釈ですね。
やがて円筒形を多用した独自の表現で「チュビスト」とも呼ばれるように。


ロベール・ドローネー「窓」(1912年)

妻のソニア・ドローネーとともに「同時主義(シミュルタネイスム)」という色彩同士の対比的効果を探求する独自の概念を打ち立てます。
それは色彩だけにとどまらず、異質な要素を同一画面に統合する方法でもありました。


レイモン・デュシャン = ヴィヨン「恋人たち III」(1913年)

1911年頃、画家で版画家のジャック・ヴィヨン(本名ガストン・デュシャン)と彫刻家レイモン・デュシャン=ヴィヨンの兄弟がパリ郊外のピュトーに構えたアトリエには、末弟のマルセル・デュシャンやフランティシェク・クプカ、フランシス・ピカビアといった「サロン・キュビスム」(おもにサロン・デ・ザンデパンダン(独立派のサロン)やサロン・ドートンヌ(秋のサロン)といった年一回開催される、公募による大規模な展覧会で作品を発表した若いキュビストたちのこと)の芸術家たちが集い、彼らは「ピュトー・グループ」と呼ばれました。

ピュトー・グループは、黄金比や非ユークリッド幾何学といった数学、四次元の概念、そして運動の生理学的分析といった科学を、キュビスムと理論的に結び付けようとしました。


マルセル・デュシャン「チェスをする人たち」(1911年12月)

「便器にサイン」の現代アート(「泉」(1917年))で有名なマルセル・デュシャンもこんな絵を描いていたんですね。

 キュビスムは建築や室内装飾にも展開が試みられます。1912年のサロン・ドートンヌに、「メゾン・キュビスト(キュビスムの家)」が展示されました。

レイモン・デュシャン = ヴィヨン「メゾン・キュビスト 建築正面(模型)」(1912年)

  ピカソが住んだ1904年以降、モンマルトルのアトリエ兼住居「洗濯船」から始まったキュビスムですが、1910年頃にはモンパルナスの集合アトリエ「ラ・リッシュ(蜂の巣)」にフランス国外から来た若く貧しい芸術家たちが集うようになります。

その中には、マルク・シャガール(ロシア帝国領ベラルーシから)、コンスタンティン・ブランクーシ(ルーマニア出身)、アメデオ・モディリアーニ(イタリア出身)らがいました。

マルク・シャガール「ロシアとロバとその他のものに」(1911年)

幾何学的に断片化された表現や、ドローネーの鮮やかな色彩を取り入れました。


アメデオ・モディリアーニ「女性の頭部」(1912年)

モディリアーニははじめモンマルトルに住み、ピカソら「洗濯船」の芸術家たちと交友しますが、1909年にモンパルナスへ移り、一時「ラ・リュッシュ」に身を寄せます。
その頃に没頭した石彫りの彫刻作品に見られるアーモンド形の目を持つ単純化された頭部の表現は、その後の絵画にも受け継がれます。

 ロシアでは、フランスのキュビスムとイタリアの「未来派」(ウンベルト・ボッチョーニ、ジャコモ・バッラらによる芸術運動の一派。機械美やスピード感、ダイナミックな感覚を称え、軍国主義の賛美し、女性および女性賛美主義を軽蔑した)がほぼ同時期に紹介され、この二派から影響を受けた「立体未来主義」が展開。キュビスムの非再現的な画面構築と、都市や機械、工業といった未来派的なテーマとの融合を試みました。

ナターリヤ・ゴンチャローワ「電気ランプ」(1913年)

ロシア生まれのゴンチャローワはパートナーのラリオーノフとともに革命前の「ロシア・アヴァンギャルド」を牽引した画家です。


ミハイル・ラリオーノフ「散歩:大通りのヴィーナス」(1912–1913年)

タイトルにはヴィーナスとありますが、描かれているのは娼婦です。
娼婦のモチーフや荒々しいタッチはラリオーノフの「ネオ・プリミティヴィスム」(ロシアのイコン(聖画像)や刺繍、民衆版画(ルポーク)などの伝統的な表現が、西ヨーロッパからの前衛的な造形表現と結びついた運動。直後に起こるロシア・アヴァンギャルドにも深い関係がある)の特徴ですが、文字を入れたり幾何学的な表現にはキュビスムの影響がうかがわれます。

 二つの世界大戦をはさみ、キュビスムの作品はドイツ人の画商カーンヴァイラーが取り扱っていたことからドイツと結び付けられ、ドイツによる文化侵略だなどとフランス国内からいわれのない非難を受けることになったりもしましたが、戦後はレオンス・ローザンベールが代表的画商となり(カーンヴァイラーは大戦中に亡命)、再び地位を回復。作品の構成はより簡潔なものに変化しました。

フアン・グリス「ギターを持つピエロ」(1919年5月)

確かに、だいぶすっきりしましたね。

 一方、国立西洋美術館の設計者としておなじみのル・コルビュジェ(本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は、アメデ・オザンファンとともに新たな芸術運動として「ピュリスム(純粋主義)」を宣言。合理性や秩序を重視し、簡素で幾何学的な形態と厳格な構図の静物画を描きました。

ル・コルビュジェ「静物」(1922年)

 兵役から戻ったレジェは、機械のイメージそのものに魅了され、独自の「機械主義」に傾倒。前述の「縫物をする女性」もロボットっぽいですよね。もともとそういうのが好きだったんでしょうね…。壁画や舞台、映画など、レジェが言うところの「大衆的なスペクタクル」も手掛けるようになります。

フェルナン・レジェ、ダドリー・マーフィー、音楽ジョージ・アンタイル「バレエ・メカニック」(1923-1924年)

アメリカ人映画作家と共同制作した短編の実験映画。
マン・レイも協力しています。

オザンファンとル・コルビジェが創刊した芸術雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」には、レジェ自身による紹介記事が掲載。一部抜粋します。

   ~~

 この映画特有の関心は、「静止したイメージ」と、そのイメージの計算され、自動化され、減速あるいは加速され、追加や類似を伴う映写に対して我々が与える重要性に向けられている。

 シナリオはない。ーリズムに従ったイメージ同士の反応、それがすべて。 

   ~~ 

 この映画は終始、十分に正確な計算の原則に従っている。出来うる限りにおいてもっとも正確な計算に(数、速さ、テンポ)。

 事物は以下のリズムに従って映写される: 

1秒につき6コマを30秒間
1秒につき3コマを20秒間
1秒につき10コマを30秒間 

 観る者の目と精神が「もはやこれを受け入れなくなる」まで、我々は「繰り返す」。耐えられなくなるその瞬間まで、我々は事物のもつスペクタクルの価値を汲み尽くす。

   ~~ 

 (『レスプリ·ヌーヴォー』28号、1925年より)

 

 キュビスムというのは、表現を模索する上でのひとつの刺激的な通過点のようです。一時期は夢中になっても、さすがにこんなことだけをやってはいられないと作家自身も思うのではないでしょうか。数多くの芸術家がキュビスムの魔力に吸い寄せられ、様々なイスムを生み出しては通り過ぎていったことがよく分かる展覧会でした。



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展覧会情報

会期:2023年10月3日(火)~ 2024年1月28日(日)
会場:国立西洋美術館 企画展示室
主催:国立西洋美術館、ポンピドゥーセンター、日本経済新聞社、テレビ東京、BSテレビ東京、TBS、BS-TBS、TBSグロウディア
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:大林組、住友不動産、ダイキン工業、DNP大日本印刷、日本通運、ブシュロン ジャパン、三井住友銀行
協力:サッポロビール、日本航空、パリ・ポンピドゥー・センター日本友の会、西洋美術振興財団


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おまけ。

 常設展示で関連のあるものを。

ポール・セザンヌ「散歩」(1871年)

セザンヌの初期の厚塗りな作品。
パリのファッション雑誌の図版をもとに描かれています。


パブロ・ピカソ「小さな丸帽子を被って座る女性」(1942年)

ピカソというとこういう感じを思い浮かべるのでは。


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余談。

 この展覧会は撮影可能な作品が多く、ご老人もガラケーで撮影していました。ただ、手が震えて…。小刻みに揺れるままシャッターが押されるガラケー。果たしていかほどの手振れ補正が効いているのでしょうか。がんばれ(おばあもガラケーも)、と心の中で声援を送ったのでした。

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